豊明市・緑区 ピアノ教室 講師紹介

幼少

名古屋市港区で未熟児手前で生まれ小さかった

4歳から母の勧めでピアノを始め

幼稚園ではマーチングバンドに夢中になる

母方の祖母に可愛がられ、名古屋っ子

「みなと祭り」が大好きだった

 

小学生 

片道40分かけて通学したお陰で

体力がつきスポーツが得意になる

3、4年生の転校先ではピアノではなく

ヴァイオリンを習い

弦楽器の多彩な音色や心地良さを知る

小学生からグランドピアノを与えて貰いながらも

練習嫌いな子だったが厳しい先生の指導を受け根性がつく

優等生ではないけれど、どんな事でも母を手伝う子供だった

 

中学生 

合唱コンクールでは伴奏担当、クラスに貢献するが

褒められたことは無くいつも自信がなかった

進路に悩み一旦ピアノを辞めるが3年生秋

諸先生方の勧めで音楽の高校へ進学決意

 

学生 

音高のピアノ科へ入学

音楽科の生徒たちは皆、長年受験のためのレッスンを受けてきます

ほぼピアノしかやって来なかった私は全くの準備不足

場違いなところに来てしまった?

 と生まれて初めての挫折を味わう

唯一、副科のヴァイオリンだけは子供の頃の経験もあり

物腰の柔らかい高橋妙子先生のレッスンと

合奏のオーケストラ参加日は

朝から気分が上がっていた

 

救世主現る!

落ち込む私に救いの手を差し伸べて下さったのが

ソルフェージュの成田剛先生

作曲家で音楽教育家の成田先生のソルフェージュは

決して甘いものではなく隙もありません

 

レッスンに向かう地下鉄の中でも課題を熟さなければ

追いつけないほどの課題だったが

これが不思議と辛くなく、むしろ楽しんでいた

これがまさに正しい努力

先生は出来ない私を咎めることは一度もなく

全てを受け入れて下さり淡々とレッスンをされ

自主性をそして確実に成果を与えて下さった

 

のちに私の指導は成田先生の影響を大きく受け

音楽の高校や音楽大学志望の生徒さんを

音楽の道に送り出すことが出来た

 

 

名古屋音楽大学器楽科ピアノ専攻入学

教員免許は母との約束で取得するが

教育実習で教員には向いていないと悟り

ピアノ講師になる選択をする

 

大学3年からヤマハのピアノ講師を始める

在学中に指導グレードを取得し卒業後の準備を始めながら

緑区で出張レッスン開始

この頃から名古屋でのレッスンがメインになっていった

音楽とは関係のない百貨店の催事や

デパ地下のアルバイトも多数経験する

 

社会人 

卒業後も引き続きヤマハのピアノ講師、緑区で出張レッスン

自宅でゆきこピアノ教室を開く

この頃、音楽の道へと希望される生徒さんの

レッスンする機会が増えていった

ピアノとソルフェージュをレッスンすることに

 

趣味ではピアノとは真逆のマウンテンバイクを車に乗せ

山へオートキャンプ、サイクルマラソン参加や

スキーとアウトドアを楽しんだ

 

試練の始まり

26歳の時、母が癌になり手術

介護が始まった

母が病気のせいか

「自宅でレッスンはして欲しくない」と言い

自宅ピアノ教室は諦め生徒さんもお断りし

ヤマハ講師も辞め

名古屋市昭和区で音楽教室を開くことに

 

30歳の時、網膜の炎症で一時視力を失うが無事回復する

母も旅行を楽しめるほど回復したその矢先

10年目、がん転移

既にステージ4の末期

 

10年前とは比べ物にならない

大変な抗癌剤治療と看護が始まる

当時犬、猫4匹の世話、家事が益々多忙

自分自身が倒れる

数日後母は息を引き取った

それから何年もシクシク泣いて過ごした

でも、ピアノを弾いている時だけは忘れられた

何か別の感覚に浸れて我を忘れて弾いていた

ピアノがあって本当によかった

 

1周忌後間もなく楽器店のレッスン依頼があり

お受けし、後に昭和区の音楽教室は閉めることに

追われる生活からゆとりもでき山歩きを楽しむが

再び体調を崩し1ヶ月入院

試練が一気に押し寄せた・・・

 

今思えば・・・

自分の人生いつもどこか自信を持てず、辛い経験ばかり

でも、ふと思えばすべて乗り越えられてきた

自分はもしかしたら、強い人間なのかもしれない

人生は山あり谷あり

もしかしたらこれからの子どもたちも、そうかもしれない

でもそんな人生だからこそ、喜びや癒しを持っていて欲しい

それが、音楽

私は音楽・ピアノがあったからこそ

辛いと思わず乗り越えられたのかもしれない

そういうものを子どもたちに渡していきたい

 

ピアノ教室再開

体も徐々に落ち着き、母のこともあったが

これまでずっと名古屋にご縁があり

名古屋から生徒さんが来てくれていたので

今こそチャンスだと思い

父に自宅でレッスンしても良いか相談し許可を得て

ピアノ教室をやっと本格的に始動できることになった

 

私ここの教室ならやっていけるかも

あるとき私の教室が4軒目の体験レッスンだという

1年生の女の子がいらして、体験レッスン終了後お見送りすると・・・

女の子がママと会話ししているのが聞こえた

『ママ、わたしここならやっていけるかも』

体験を満足していただけて嬉しかった。

また、一年生にしては大人びたことを言う子だなと印象深かかった

女の子はもう1軒体験レッスンされた後

私の教室にご入会いただきました

 

器具をつけながら本番

名古屋から通ってきてくれていた生徒さまのお母様から

肺に障害のあるお子さんの出張レッスンのご紹介があった

これまで障害をお持ちのお子さんの経験はあり

自分にできることがあればとお受けした

当時年長さんに上がったばかりの女の子

「肺動脈性肺高血圧症」という小さい子には大変珍しい難病指定されている病気

4才から肺の血管を広げるフローランという24時間持続点滴の治療を導入

器具を毎日装着の必要がありバック(1キロほど)を身につけていなければならない

薬の副作用でレッスン中断もありながら、わずか半年後、お母様がドレスの中に器具を仕込み発表会参加

 

心の痛みと身体の痛みがわかる

私自身、長年心の痛みと身体の痛みを経験しながら

ピアノ教室を運営してきました

生徒さんの反抗期や表情の変化を読み取ることは得意

人一倍心の痛み身体の痛みがわかる私だからこそ

障害のあるお子さんや子育てでお困りのママさんの

お力になれることはあると自負している

 

協力的なお母様方に支えられ

教室を再開した当時のお母様がご姉妹のサポートを見事にされ

その後そのお母様のご紹介でご入会されたお子さんのお母様も熱心に

更に連鎖して行った

 

共働きのご家庭が多く時間のやりくりが困難な中

お母様方が練習の習慣づけに成功され

私のレッスンの大きな支えとなった

コロナのため対面レッスンができなくなった時

リモートレッスンへの移行もお子さんのためにご協力くださった

自分ひとりではレッスンできなかったことを忘れず心に留めている

 

生徒合格実績

菊里高校音楽科

桜ヶ丘高校音楽科

同朋高校音楽科

名古屋音楽大学

愛知教育大学